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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

新作が出るという第一報に接したとき、僕は漠然と次作の主人公は「蜂蜜パイ」「日々移動する腎臓のかたちをした石」の淳平ではないかと考えました。

なぜ淳平が主人公だと考えたかということを話すと長くなるのではしょりますが、少なくとも同じキャラを二回登場させてきたことには何らかの意味があると思います。また、短編から長編をつむぐという手法はこれまでの村上作品に多く見られるパターンでした。

個人的に僕は「蜂蜜パイ」が極めて重要な作品であると、常々、考えていました。僕は村上作品の唯一の瑕疵(といっていいか迷うところだけども)は、子どもが描けないことにあると思っていました。でも「蜂蜜パイ」には「沙羅」という子供が登場します。

沙羅は、例えば笠原メイやユキのような「記号的子供」ではありません。純粋に子どもとしての子どもとして描かれています。そして「蜂蜜パイ」は、その沙羅という子どもを作家である淳平が受け容れるというお話です。そして「これまでとは違う小説を書こう」と淳平が決意して「蜂蜜パイ」は終わります。

でも今回、タイトルが発表されてみると、そして実際に読んでみると主人公は多崎つくる君で、淳平ではありませんでした。けれども、別の符牒として「沙羅」の名前が出てきた。このとき、やはりこの物語は淳平の物語とつながっていると感じました。

結論めいたことを言えば、僕はこの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品は、淳平が書いた初めての長編小説なのではないだろうか?と考えています(「日々移動する腎臓のかたちをした石」のなかで、淳平は長編小説に取り組んだことはあるものの、うまく書くことができないといっています)。つまり、春樹さんは今回、淳平という「架空の作家」というレイヤーを通して作品を著したということです。

どうしてそのようなかたちになったのか? ということに関して、具体的な理由を見つけられたわけではありません。でも僕は「淳平」というレイヤーが存在するということを頭において読まないと、この作品を見誤るような気がしています。表層に囚われてはいけないと感じています。

僕は、淳平という架空の作家を春樹さんが生み出したことにとても興味を持っていますし、そこに大きな意味があると感じています。そこには今まで春樹さんが書こうとして書きえなかった問題が潜んでいるように思うからです。それはつまり「子ども」の問題であると考えています。その問題を超えようとしたのが「蜂蜜パイ」という作品だったのではないか。

ここからは想像でしかありませんが、ひとつのキーワードは「19歳」という年齢です。村上作品にとって、19歳という年齢はとても重要な意味を持っています。例えば、最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』所収の「午後の最後の芝生」の中に、こんな文章があります。主人公の彼女からの手紙に出てくるフレーズです。

十九というのは、とても嫌な年齢です。あと何年かたったらもっとうまく説明できるかもしれない。でも何年かたったあとでは、たぶん説明する必要もなくなってしまうんでしょうね。

さらに言えば、『ノルウェイの森』のワタナベが直子と初めて寝たのも19歳のときです。そしてこの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の多崎つくるの人生が大きく変わるのも19歳です。19歳の村上春樹に何が起きたのか? それは「子ども」にまつわる出来事ではなかったのか? これは僕の憶測でしかありません。確たる根拠があるわけではありませんが、「子ども」というキーワードを置いてみることで、見えてくるものがあるような気がするのです。

ただしこれはまだ初読のファーストインプレッションにしかすぎません。再読することで、また別の何かが見えてくる気もします。いずれにせよ、表層に囚われて、軽々に評価を下す作品ではないと思います。とても巧妙に、精緻に作られた作品であることは間違いない。幾重にも重ねられたレイヤーを丁寧に剥がしていくことで、ようやくその奥深くにある何かを見つけることができるのではないでしょうか。