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フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』

1964年ドイツ、ミュンヘンにひとりの男の子が生まれた。曽祖父が建てたシュトゥットガルトの屋敷には広大な庭園があったというから、それなりに裕福な家柄だったのだろう。父親は、よく彼を釣りや狩猟に連れて行ってくれた。その屋敷には祖父もいた。祖父は杖のコレクターで、酒瓶や時計、あるいは剣を忍ばせたさまざまな仕込杖を所持していた。祖父もまた、毎日のように少年を散歩に連れ出してくれた。しかしその祖父は、少年が6歳の頃に屋敷を出た。以来、祖父は死ぬ間際まで、少年と会うことはなかった。

いや、正確にいえばそれは違う。少年は12歳の頃(つまり1976年)に、祖父と再会している。直接会ったわけではない。歴史の教科書に祖父の写真が掲載されていたのだ。キャプションには次にように記されていた――〈ナチ党全国青少年指導者バルドゥール・ベネディクト・フォン・シーラッハ〉。ヒトラー・ユーゲントの指導者として、独裁者から絶大な信頼を寄せられていた人物だ。やがてドイツのミッション系エリート校を卒業した少年は、法曹界へと進み、弁護士になった。その傍らで小説を著し、2009年に作家デビューを果たす。そうした出自の小説家によって生み出されたのがこの『コリーニ事件』。

舞台は2001年のベルリン。ホテルの一室で資産家の老人が殺される。頭部に四発の銃弾を撃ち込まれ、顔面は靴底で何度も踏みつけにされた跡がある。犯人はイタリア人の67歳の男で名前をコリーニといった。だがコリーニは、老人の殺害は認めるものの、動機を語ろうとしない。問題は、被害者と加害者との「接点」がどこにあるか。国選弁護人として指名された主人公がその「接点」を探るうちに、物語は、過去の大いなる過ちを暴き出すこととなる。

ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。わずか24年前まで、ドイツでは戦争を体現するものが眼前にそびえ立ち、国家体制も東西に分断されたままだった。誤解を恐れずに言えば、ドイツの終戦は1989年であったともいえる。だから、先の大戦の記憶は生々しく今もある。そのことは例えば、本書の刊行をきっかけにして法務省内に「ナチの過去再検討委員会」が設置されたということからもうかがえる。彼らは現在においても、自分たちの犯した過ちを真摯に反省し続けている。被害者の傷も加害者の傷も抱え込みながら。想像しながら。一方で、隣国とせめぎあうために憲法を改正せよと叫ぶ国がある。「ナチスに学べ」と閣僚が平気で発言する国がある。戦争の記憶と想像力を失った国は、なんともみじめで愚かしい。