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残雪『かつて描かれたことのない境地』

中国の現代作家・残雪の短編集『かつて描かれたことのない境地』が出た。僕が残雪の名前を初めて目にしたのは、池澤夏樹編集による「世界文学全集」に彼女の作品が収録されると知ったときのことだ。しかし「残雪」という奇妙なペンネームはもちろんのこと、世界文学全集のラインナップに彼女の名前が載っていることに、僕はいささかの戸惑いを覚えた。20世紀文学の収録を指針に据えていたとはいえ、全集に登場する作家はフォークナー、カフカ、ウルフといった大家ばかりだ。現役作家も同様で、ル・クレジオやクッツェー、ギュンター・グラスといった、いずれもノーベル文学賞受賞作家である。88年に作家デビューした残雪は、その中にあっていかにも若い。

しかし一読して、これはやられた、と思った。ひと言で言えば「不条理小説」ということになろうが、それで括れるほど、おそらくこの作家、および作品は簡単ではあるまい(カフカ研究を積極的に行ってはいるようだが)。ものすごく複雑で難解。中国という全体主義国家を背景にしていることはもちろんだが、そこに焦点を絞ってしまっても、この作家の本質を見誤る。彼女の中では「四書五経」と「聊斎志異」とが美しく融合されていて、そこには2500年の時間がぎゅっと凝縮されている。これは日本人には描けない。描きようがない。だから、悔しい。

残雪の作品から僕が思い出すのは、中国の古典思想『荘子』だ。荘子は、『老子』とともに道家の根本経典となるもので、自然の流れに因りしたがう「因循主義」を是とし、いわゆる「万物斉同」を基本哲学とする。これはつまり、〈この現実世界の対立差別のすがたをすべて虚妄としてしりぞける立場〉である。(『荘子』[内篇] 金谷治訳注/岩波文庫)孔子を始祖とする儒教は、現実に対して進んで働きかけて変革を促し、礼・楽によって社会を秩序立てていく積極的思想である。それに対して、荘子の思想は現実社会を否定する「虚無主義」であり、混沌(カオス)を受け入れる。まさに“儒教の裏”を成すものであり、その本文には、孔子を俗人と皮肉った寓話なども登場する。そしてしばしば、グロテスクな例をもってして、常識や規範に大きな揺さぶりをかけてくる。

『かつて描かれたことのない境地』で示される世界も、いずれも混沌としてグロテスクなものばかりだ。「瓦の継ぎ目の雨だれ」に登場する母娘、「奇妙な大脳損傷」の専業主婦、「水浮蓮」の“それ”、そして表題作の記述者と夢見者との奇妙な会話。彼らは現代社会の外に位置するものであるが、しかし、現代社会の一角に必ず潜んでいるものでもある。私たちの多くはただ、“それら”を見ないように目を背けているだけだ。彼女はそうして隠されたものたちを引きずり出しきて、見ろ、と迫る。そしてそれを受け容れろ、と私たちに言ってくる。多くの物語にはストーリーと呼べるものはない。読者はただ、彼女の差し出すイマジネーションの塊を凝視するのみである。一幅の山水画を鑑賞するかのように。たとえグロテスクでも。目を背けたくとも。