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黒川創『暗殺者たち』

今年初め、漱石の全集未収録随筆が見つかった。「韓満所感」と題されたそれは、明治42年11月5日と6日の二回に分けて「満州日日新聞」に掲載されたものだ。同紙は中国領内の関東州で発行されていた。関東州は、日露戦争ののちに日本が手に入れた租借地だ。漱石が彼の地を訪れたのは、ちょうど『それから』の執筆に目途がついたからということと、学生時代の友人である南満州鉄道総裁・中村是公に請われたからだという。また、同紙の社長が、これもまた学友である伊藤幸次郎だったということもある。ともかく漱石は、日露戦争終結から四年後、ひと月半ほどをかけて満州から朝鮮へと渡る旅に出た。途中、ハルビンにも一泊した。

ところが、帰国してさあ原稿に取りかかろうかというときに、漱石を驚かせるニュースが飛び込んでくる。伊藤博文がハルビンで暗殺されたのだ。ただし「韓満所感」を読む限り、漱石が驚いたのは伊藤の死ではない。犯行現場が、ついひと月前に自分が訪れた地であったことと、伊藤とともに負傷した人物たちの中に、そのときに世話になった人々がいたからだ。ただし、伊藤以外の人物たちはいずれも軽傷であったことから、漱石の興味はそれで逸したように見える。「韓満所感」には、〈わざわざ号外に断ってある位だから、大した事ではなかろうと思って寝た〉とある。世間は伊藤の暗殺に揺れているだろうに、天下の大文豪は知人の安否を確認したのちに「寝た」というのである。

この随筆を発見したのは、作家で評論家の黒川創。「思想の科学」の編集委員をつとめた人物であり、評論集『国境』などで、日本語と旧植民地との関わりをつきつめてきた。その後に発表された『若冲の目』『硫黄島 IWOJIMA』などの小説作品も、その根底には「境界」と「個」の関係性というテーマが見え隠れしている。僕が黒川の作品を初めて読んだのは芥川賞候補作となった『イカロスの森』という小説である。その後、鶴見俊輔の引き揚げ体験をテーマとした鼎談『日米交換船』で、鶴見と加藤典洋を相手に堂々としたナビゲート役を務めていて驚いた記憶がある。なにせ黒川は1961年生まれなのである。僕と6つしか違わない。1922年生まれの鶴見に見込まれた人物。その事実だけで、僕は嫉妬した。

さて、『暗殺者たち』である。一読すると、黒川らしき人物が行ったロシアの大学での講義録と読める。講義の始めは、漱石の「韓満所感」の発見から。伊藤博文暗殺事件、そして犯人の安重根の話へと続く。やがて漱石を入り口にして、幸徳秋水とその妻・菅野須賀子、そしてその前夫である荒畑寒村の物語が語られる。秋水と須賀子は「大逆事件」で処刑された社会主義者であるが、実際に事件を誘導したのは妻の須賀子のほうで、秋水は、当時“高名であったがために”主導者と目されて処刑された。その顛末が、実際の資料を引用しながら語られるわけだが、しかしこれは「小説」だという。

これが小説であるならば、小説でしかなし得ない「飛躍」がどこかに潜んでいるはずである。それがないのであれば、「評伝」というかたちで済む。では、どこにその「飛躍」があるか。僕が考えるに、この小説の「飛躍」は〈本当にテロリストと呼ばれるに値する行動を取れたのは、伊藤博文と安重根、この二人だけだということなんです〉という一文にある。若き日の伊藤博文は暗殺者だった。彼は21歳の時に塙次郎という国学者を暗殺し、英国大使館を焼き討ちしている。一方、安重根はもともとは富裕の出であり、十代でカトリックの洗礼を受けた人物である。パルチザンを率いて抗日活動に邁進するが、捕虜に扱い関しては国際法を遵守するなど、理性的で高潔な面も併せ持っていた。

そんな彼らと比べて、菅野須賀子らは〈とうてい、国家元首の暗殺の実行までたどりつけるほどの強い動機はありません〉という。さらに〈その後、どうやって、どんな社会変革をはかっていこうと考えるのか、話しあった形跡がまったくない〉と、講義者は断じる。つまりこれは、「テロリズムの境界」とはどこにあるのかを問いただす物語なのだろう。黒川がこだわり続けている「個」と「境界」の物語なのだ。