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リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』

今月の『選択』に『混迷の「アフリカ連合」』という記事が載っていた。副題には“「盟主」失い求心力低下”とある。はて「盟主」とは誰だろうと不審に思いながら読み進めていくと、その人物はリビアのカダフィのことを指していた。〈政権崩壊数年前の一〇年、リビアはアフリカ各国に九百億ドル以上の支援をしている。そこには独裁政権も多く含まれるが、良くも悪くもそれによって紛争が抑え込まれていた〉というのである。その好例がソマリアで、1990年代から無政府状態にあるこの国では、近年、イスラムテロ組織「アル・シャバブ」が勢力を拡大していた。アル・シャバブを支援していたのはエリトリアだが、そのエリトリアを経由してアル・シャバブに資金提供していたのがリビア。しかしカダフィ亡き後、アル・シャバブは「アフリカ連合ソマリア平和維持部隊(AMISOM)」に形勢逆転される。

ところがAMISOMが優勢になった途端、今度はケニアがソマリアに侵攻する。さらに、〈エチオピアがソマリアの分割統治を狙っている〉という。〈カダフィは手前勝手に他国のテロ組織を支援していたに過ぎない。しかし、結果として当時は周辺国がソマリアに手出しできなかった。カダフィを失ったことで重石がなくなり、パワーバランスが崩れたのである〉と記事は書く。実際、リビアは「アフリカ連合(AU)」の大スポンサーであり、AUの中には「なぜカダフィを見殺しにした」という声もあるという。西洋の文脈から見ると独裁者の死は喜ばしく映る。けれども“アフリカ大陸”は、必ずしも西洋の文脈で読み解くことはできない。そんなことは100年以上前からわかっていたことで、20世紀初頭にジョゼフ・コンラッドが小説に著している。アフリカの奥地に己の帝国を築いたクルツが、死に際に発するのは「怖ろしい!怖ろしい!」という叫びだ。

西洋の文脈で理解しがたい一因は、例えば、リシャルト・カプシチンスキの『黒檀』を一読するとほの見えてくる。カプシチンスキはポーランド出身のジャーナリストで、アフリカ取材に長く身を投じた人物。『黒檀』は1998年にポーランドの日刊紙に連載されたもので、リアルタイムの取材記というわけではなく、正確に言えば過去の体験を振り返った回想録ということになる。とはいえ、新たな取材と膨大な取材録をもとに再構成されているので、まるでリアルタイムに配信された記事を読んでいるかのような迫力がある。彼が初めてアフリカに足を運んだのは1958年ということだが、『黒檀』はそれ以降の激動のアフリカを知る上での、最良の入門書だ。

その中に「井戸」と題されたソマリアでの体験記がある。ソマリア人の遊牧民とともに砂漠をさまよう話。時代は明確に記されていないが、遊牧民の言葉に「オガデンの奴らがくる」とあるから、エチオピアとの抗争前夜のことかもしれない。エチオピアのオガデン地方に暮らすソマリ人たちが分離独立を叫んでエチオピアに反旗を翻したのが1977年。ソマリアはその紛争に介入し、1988年の停戦合意に至るまで両者のにらみ合いは続いた。もともと、ソマリ族がひとつの国家のもとに集結すべきという「大ソマリ主義」を掲げての戦争だったが、皮肉なことに、ソマリアでは氏族間での争いも激化して内戦に発展した。ソマリ人は一つの民族ではあるものの、それらが氏族に分かれ、さらに親族グループに分かれという具合に細分化されている。〈ソマリア社会の歴史を形成してきたのは、こうした血族集団同士の間に生じた関係であり、同盟であり、対立であり、またその変遷なのだ〉とカプシチンスキは書く。

ソマリアに限らず、アフリカで内戦が多発するのは、こうした民族間、氏族間の争いが絶えないからだ。勝者は一族郎党を引き連れて、国家を掌握する。多くの国が「巨大な家族経営」という体だから、近代国家と呼ぶには程遠い。必然的に独裁体制になる。一方で、敗者は冷や飯を食わされる。ときに惨殺され、流浪の民へと追いやられる。殺されるのは血を同じくする家族だから、憎しみも深い。そうして復讐に走る。この繰り返し。「独裁者たちの王」として君臨していたカダフィがいなくなって、彼らに歯止めをかけるものがなくなった。それが今のアフリカの現状。カプシチンスキは2007年に膵臓がんでこの世を去った。今のアフリカをどう見るか聞いてみたいものだが、それはもう叶わない。私たちは、アフリカを知るための「大事な目」を失ってしまった。