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村上春樹編訳『恋しくて』

村上春樹編訳『恋しくて』は、海外の現役作家作品から「ラブ・ストーリー」を9篇、そして村上自身の書き下ろし短編「恋するザムザ」を収録したアンソロジー。恋というのは、100組のカップルがいれば100通りの物語がある。ひとつとして同じ物語はないはずだから、他人の恋物語に共感することはないように思えるけれども、不思議と人は、他人のラブ・ストーリーに心惹かれ、ときに大きく感動したりする。読者はそこに、自分のなし得なかった恋物語を発見するのか。あるいは、自身の若き日の恋に重ねあわせてみるのか。若い読み手であれば、まだ見ぬ理想のラブ・ストーリーに憧れることもあるだろう。すべては夢物語だけども、それは僕たちのすぐ身近にある。ラブ・ストーリーは偉大だ。

なかには、歴史の“if”を巧みに借りたものもある。ジム・シェパードの『恋と水素』は、ヒンデンブルク号の悲劇に材を取った作品。その乗組員である男二人の恋物語である。ナチス政権は同性愛を禁じていたから、彼らの恋は“禁断の愛”。船長は〈もし船内で同性愛者を発見するようなことがあったら、文字通りこの司令ゴンドラから放り出してやる〉と公言する人物である。畢竟、彼らの逢瀬は人目を忍ぶものとなり、ときには〈上部気球内部の、高さ百三十五フィートのところで、濃厚なアクロバット並みの抱擁〉を重ねることとなる。飛行船の外皮は破れやすく、そのたびに糊の入った壺を持って修理に赴かねばならない。高度二千メートルでの恋は、それこそ危険がいっぱいで、だがそれゆえに燃えあがるものでもある。

さらに僕たちは、彼らを待ち受けている運命を知っている。彼らの恋が、彼らの意思に反して突然に断ち切られることを知っている。彼らが幸せであればあるほどに、読み手の悲しみは深くなる。若いほうの男の、ちょっとした嫉妬さえ愛おしい。この物語では、その嫉妬がやがてふたりを焼き尽くしてしまうのだけれども。もちろん彼らは架空の存在で、実際にヒンデンブルク号に乗り合わせていたわけではないだろう。作家は、史実にちょっとだけフィクションを交える。そのさじ加減は難しい。けれども成功すれば、読み手の心に深く訴えることができる。1937年という遠い昔に起きた悲劇が、よりいっそうリアルなものとして僕たちの心に迫ってくる。

〈いわゆる「純文学」系の作家たちは、一直線でポジティブなラブ・ストーリーをほいほいと量産してくれるほど親切ではない〉と、村上春樹はぼやいていて、だから収録されたのは『恋と水素』のような、どちらかといえば変化球といった趣きの作品が多い。結果的にその判断がこのアンソロジーを奥深いものにしているから、間違ってはいなかったと思う。ヒンデンブルク号のふたりとまではないかなくとも、恋とは、多かれ少なかれ悲劇性を抱え込んでいる。「行き違い」もあれば、「性格の不一致」もあり「不倫」もある。そうやすやすと、順風満帆に成就するものではない。曲りくねった隘路のようなものだから、一直線ではない。そもそも、村上の「恋するザムザ」が一番の変化球だ。もしこの本が海外で出版されることになったら「恋するザムザ」がもっとも風変りな作品と受け取られるのではないだろうか。