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同志社編『新島襄自伝』

NHK大河ドラマ『八重の桜』は前半の山場である会津戦争が終結し、ときは明治へと移っている。後半序盤では同志社設立までの道のりが描かれ、ここでようやく新島襄の本格的な登場となった。これまでも折に触れて、オダギリジョー扮する新島は描かれてはいたものの、もとより主人公・八重との接点がない。初登場の場面ではすでにアメリカに渡っていたし、それ以前の過去となると、函館より密出国するところから。それ以前の過去がなく、てっきり新島は、北海道出身の人物だとばかり思っていた。恥ずかしい勘違いである。

新島は江戸に生まれている。父は安中藩(現在の群馬県)の祐筆を務めていた。つまりは事務官僚であり、新島もそれ相応の教養を子供時代に叩きこまれている。漢学・剣術・馬術をたしなみ、13歳で藩主板倉勝明に抜擢されて蘭学を習うとあるから、そもそも学問に秀でていたのだろう。ドラマでは食いつめ浪人のような出で立ちでアメリカ行きの船に乗り込む新島だが、じつは相当のエリートであったのだ。

ではどうしてエリートの道を捨ててまで、新島は密出国という命がけの道を選んだのか。その理由がこの『新島襄自伝』に詳らかにされている。「自伝」とあるが、これは遺された日記や手記、紀行文から一部を抜粋し、新島の生涯を俯瞰できるようにまとめたもの。とはいえ、編纂にあたったのは同志社総長の大谷實氏を始めとする同大名誉教授たちだから、精査は十分に行われている。つまりは、新島を知る第一級の一次資料ということである。

とりわけ、第一部の《誕生からアメリカ入国まで 一八四三-六五年》が面白い。「日本脱出の理由」「私の若き日々」というふたつの手記なのだが、いずれも原文は英語で書かれたものらしい。これらは編者による現代語訳で、しかも前者は密出国した船の上で書かれた。つまり初学者による英文だから、平易で読みやすい。この本にはもちろん日本語で書かれた日記もあるのだけれど、むしろ当時の日本語原文のほうが私たち現代人にとっては読みにくい。21世まで読み継がれるためには、むしろ英文で書き残したほうがいい。もしかしたら、そんなことを考えてのことだったのかもしれない。

それはともかくとして、日記から窺い知れるのは、新島の学究への強い衝動である。藩邸での執務をたびたび抜け出しては蘭学を学んだというから、ずいぶんと破天荒だ。また、それだけでは飽きたらず、当時開設されたばかりの軍艦教授所にも飛び込んでいる(これに関しては、藩邸でのお役目を少なくしてもらったとある)。ここで代数幾何や航海術を習得したのち、備中松山藩の船・快風丸への乗船を許可されたとあるから、新島の知識は藩にとっても貴重なものだったのであろう。だから、密航を企てての函館行は「脱藩」ではなく「離藩」扱いとある。函館の武田塾への修学を目的とするもので、藩から15両の修学料を貸与されたうえでの渡航であったのだ。

「人たらし」というと言葉は適切ではないかもしれない。けれども新島の日記を読むと、そんな言葉を思い浮かべずにはいられない。おそらくは天性のものだったのだろう。そこに「学問を究めたい」という強固な目標と、それに邁進する努力が加わった。だから新島に触れた人々は、彼に惜しみない支援をせずにはいられなかった。手記「日本脱出の理由」は、アメリカでの保護者となるアルフィーアス・ハーディーに向けて書かれたものだ。その熱意に惚れこんだハーディーは、新島を養子同然に受け入れ、彼を大学に進学させる。アメリカでの学業がなければ、岩倉使節団とのかかわりも、八重の兄・山本覚馬との出会いも生まれなかった。飽くなき学問への探求が人生を切り拓く。この本は、そのことを実証してみせた人物の記録である。