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田口ランディ『ゾーンにて』

熱烈なファンというわけではないけれども、新刊が出るたびに手に取ってしまう作家が何人かいる。田口ランディは、僕にとってそんな作家のひとりだ。デビュー作『コンセント』から続く三部作も読んでいるし、それ以前のコラム集もよく読んだ。ブログやツイッターなどもフォローしているが、このひとはたびたびブログの置き場所を変えたり、アカウントを閉じたりしてしまう。「なんだか、面倒くさいひとだな」というのが、(本当に失礼な言い方で申し訳ないけれども)、正直な印象。

最近の作では(といってももう5年ほど前の作品だけれども)『被爆のマリア』が好きだ。同作は原爆をテーマとした連作短編集である。「永遠の火」「時の川」「イワガミ」、そして最後に表題作が収録されている。被爆者を主人公に置いたものはない。むしろ原爆とは遠くにある人々の日常を、原爆へと繋げる試みである(被爆者は何人も登場するが)。だから一見すると、原爆との関連性が薄く感じられる。村上春樹のファンであれば、『神の子どもたちはみな踊る』を連想するに違いない。

ただ、村上が故郷である神戸へのオマージュとして同作をしたためたのと異なり、田口の場合はまったくの部外者として原爆という圧倒的な暴力と対峙する。それゆえか、いずれの作品も対象との距離の取り方に戸惑いを感じているように思える。その戸惑いは、おそらくは自身をモデルとした作家が主人公の「イワガミ」において、最も素直に吐露されている。「イワガミ」の主人公は取材で広島を訪れるわけだが、とっかかりがつかめないことに焦りを感じる。そんな彼女が「イワガミ」という広島駅前の二葉山山頂に実在する石に出会う。そこでこの石を語り部とした小説を着想する。イワガミは、縄文の時代から広島の地を見下ろしてきた。その歴史を描いてみようと、小説家は思う。

「イワガミ」という作品はそこで終わるが、どうやら主人公の作家は、その小説をものしたらしい。でも〈テーマがデカすぎて力量不足が際立った。評価もされず、まったく売れなかった〉。それでも年に一冊はコンスタントに作品を発表できている。このくらいのペースが自分にはちょうどいい。そんな温さを抱えた彼女が次に向かったのは震災後の福島で、それを描いたのが表題作の「ゾーンにて」。「ゾーン」とは、福島第一原発20キロ圏内のことを指す。そこに暮らす人々がいる。案内の男は、Tシャツ一枚で彼女を出迎える。「放射能が怖くないのか?」という問いに「ここでは、そんなことを気にしていたら生きていけねえから」とうそぶく。僕たちの知らない福島の現実が、ここにある。

対象をできる限り自分の場所まで引き寄せて表現する、というのが田口の手法で、「ゾーンにて」も「イワガミ」も、その持ち味が発揮されている。戸惑いも迷いもひっくるめて、どう原爆と、あるいは原発事故と向き合えばよいのか?――それは田口に限らず、多くの日本人にとっての課題だ。その手立てのひとつが、田口の作品には示されている。