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谷崎潤一郎『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』

『論語』はけして教条的な書物ではないと教えてくれは呉智英氏で、たしかに読んでみると、一篇一篇が密度の濃い物語の集成であることがわかる。孔子の強烈なルサンチマンの現れであるし、彼のもとに集った門弟たちの悲喜こもごもなエピソード集でもあるのだ。それこそが面白い。そのなかでもとりわけ異色を放っているのが、雍也篇に収められた以下の一文である。

「子見南子。子路不説。夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。」(雍也第六)

「子、南子を見る。子路説(よろこ)ばず。夫子これに矢(ちか)って曰(のたま)わく、予(わ)が否(すさまじ)き所の者ものは、天これを厭(た)たん。天これを厭たん。」

南子とは、衛の国王・霊公の妻である。美人だが悪婦として知られ、霊公をその色香で惑わし、国政をわがものとしている。畢竟、国は荒れすさび、そこに魯の国を追われた孔子一門が訪れる。孔子、五十七歳のときとある。孔子の名声は隣国にも届いており、霊公もまた孔子に治政の在り方を請う。しかしそれが、南子には面白くない。そこで孔子を自らのもとへ引き入れようと画策する。

雍也篇のこの一文は、南子との謁見後の様子である。なぜ、あのような淫らな女との会見を受け入れたのか。元侠客で、曲がったことの嫌いな弟子、子路はそれが気に入らない。自分は一番弟子だという自負もあるから、先生に対しても、ずけずけとものを言う。「どうしてあんな女とお会いになったので?」そう問い質す子路に向かって孔子はいう。「自らによくないことがあれば、天が見すてるであろう。天が見すてるだろう」。つまりは、やましいことなどしていないということだが、さて、どうして孔子はここで二度も「天これを厭たん」と繰り返したのか。しかも、弟子に対して「誓って」まで。さては南子とのあいだに、艶事でもあったのか。二度繰り返す「天これを厭たん」という言葉は、〈孔子の内心の動揺の現れだと見えないだろうか〉と、その著書『現代人の論語』の中で呉氏は書く。

実際に孔子と南子とのあいだに、何が起きたのかはわからない。しかしこの一文に興味を持ち、そこから物語を紡ぎ出した作家がいた。谷崎潤一郎である。「麒麟」と題されたその短編には、南子があの手この手を使って孔子を籠絡しようとするさまが描かれる。幾種もの香を炊き、酒宴を催し、女官をはべらせ、そのたびに孔子に向けて意味ありげな笑みを浮かべる南子。そんな彼女が孔子に最後に見せるのは、刑場でもがき苦しむ罪人たちのむごたらしい姿である。みな裸にむしられ、なかには、鼻を削がれ、両足を断たれたものもいる。南子の嫉妬を買ったがために、捉えられた女だ。そうして〈あの罪人達を見たならば、先生も妾の心に逆らう事はなさるまい〉と、脅す。〈優しい眼つきをして、酷い言葉を述べる〉のが、南子という女なのだ。

衛の国ではその後、母の淫蕩ぶりを嫌悪した息子が、南子の殺害を図る。しかしこれは失敗に終わり、国外に亡命。やがて霊公の孫が王位に就くが、国を追われた父親との間で争乱へと発展する。それはやがて子路の命運にもかかわってきて、それを描いたのが中島敦の「弟子」。子路の最後は凄惨を極め、全身膾(なます)のごとくに切り刻まれ、その遺体が塩漬けにされたと聞くと、孔子は〈家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、醢は一切食膳に上さなかった〉と、中島は書く。すべては南子という毒婦が発端となった物語である。『論語』とは、かようにドラマチックな書物なのだ。谷崎の「麒麟」は現在、『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』(集英社文庫)に収められている。