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石川淳「珊瑚」

石川淳の「珊瑚」は昭和28年に「群像」(講談社)に発表された。文庫版にして60ページほどの作品である。同じ頃に石川淳は他に二編の短編小説を書いている。この「珊瑚」が収録されている講談社文芸文庫の『鷹』にはその二編、「鷹」と「鳴神」が収録されている。「珊瑚」を含むこれらの作品には共通のテーマがあって、それはひと口に言ってしまえば「叛乱」「革命」といったことだ。

「革命」と言ってしまうと、今の時代においてはなんとも不穏な印象を受けるけれど、石川淳の作品はけっして革命をアジテーションするようなものではない。むしろ革命というものを、ちょっと皮肉っている部分がある。それでいて体制側へも鋭い批判の眼を向けている。だからなんとも不思議な読後感を持つ。正義の味方がいて悪い奴がいる。正義の味方は悪い奴に猛然と立ち向かって、悪を倒すのだけれど、正義の味方も最後にはあっけなく消えてしまう。読者は混乱した情景にとり残されて放っぽらかしにされたような気分になる。

以前取りあげた永井龍男の作品は一幅の書画のようだが、石川淳の小説はそうした書画をつなぎ合わせて、ぐいぐいと物語を動かしていく。いわば上質のアニメーションのよう。あまりにぐいぐいと読者を引っ張っていくものだから、あっという間に結末まで行ってしまって、読後感としては内容の荒唐無稽さだけがつい、目立つ。けれどもじつは、アニメーションでいえばセル画一枚一枚が実に丹念に、巧妙に作られている。まるで宮崎アニメのよう。

「珊瑚」の始まり方なんかはちょっとすごい。 〈厚い樫の大扉の、鉄の鋲をうったかんぬきがしなうまでに、外側から押す力と、内側で支える力とがそこに烈しくせめぎあった。ぶつかってくる力を邪険に刎ねかえす扉の音に、殺気がこもった〉とある。いきなりこんな文章から始まる小説なんて、あまりない。

しかもこれだけでは何が起こっているのか読者にはぜんぜんわからない。「誰が」「いつ」「何を」「どうした」という説明がいっさい省かれているからだ。でも大きな扉がものすごい力でぐわんぐわんと傾いでいる様子は伝わる。しかも大扉の周りには「殺気」がこもっている。尋常ではない。いったい何が起こっているんだろう。気になってくるから先に進まずにはいられない。ここでもう読者は、石川淳の術中にはまってしまう。

さらに数行を読み進むと、炎に追われ大扉に向かって怒涛のように人が押し寄せてきているということがわかる。その力が先の大扉に加わっていたんだということがわかる。ところが、その調子で先へ進めば謎が解かれるかというとそうではない。謎が謎を呼ぶ。 例えば、大扉に押し寄せる人たちが「あけろあけろ。」と言う。それに対して扉の中の人間は「入れるな。悪党どもを門内に入れるな。」と言う。それで悪側と正義の側が提示されたのかと思いきや、すぐに次のような文章が続く。

〈号令をかけているのは隊長なのだろう。「悪党ども」とはたれのことか。そうわめいた当人、どうやら絵にかいた小悪党の片割とも見えるつらがまえであった。〉

「隊長なのだろう」と、作者だったら知らないはずはないことなのに「だろう」などと、ずいぶんあやふやな書き方をしている。さらに「悪党ども」と叫んでいる当人が悪党づらしているとあるから、読者はますます混乱してしまう。こんな具合に謎をどんどん提示していくのと同時に、物語も冒頭から異様な盛り上がりを見せる。だから、読者はどんどん引き込まれていかざるをえない。たった2、3ページの間に、火に包まれて押し寄せる扉の外の人々とそれを阻止しようとする人々との壮絶な戦いが始まって、終結する。これだけで一つの話ができてしまいそうなぐらいだけれど、石川淳はそれをたった数ページで描くことができる。すごいとしか言いようがない。