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山田風太郎明治小説全集『警視庁草紙』

先日、知人から「明治のことがよくわかる本はないか?」と訊かれた。そのときに僕の頭に最初に浮かんだのが、この山田風太郎の「明治小説全集」。ちくま文庫から全14冊刊行されていて、現在では電子書籍にもなっている。そのなかでもとりわけ好きなのが、全集の巻頭を飾る『警視庁草紙』だ。時は明治だから、つまりこの物語は警視庁黎明期を舞台にしている。江戸の「お白洲」から近代警察制度への移行時期ということであり、その象徴となるのが本編にも登場する川路利良。初代警視総監であり、「日本警察の父」とも呼ばれる大人物だ。

けれども夜明け前を迎えたばかりの日本社会には、まだほのぐらい部分が残っている。奇談、怪談、幻談の類で、近代の灯りに眩んだ警察の人間には、それらはすべて「怪事」に映る。ことの真相がわからない。そこで暗躍するのが、元南町奉行であったり、同心や岡っ引き。つまりは、前近代の人間たちである。彼らは御維新に敗れた者たちであるのだけども、近代の規範に縛られないから、それゆえに世の中を(とりわけ世俗のものたちの機微を)見通すことができる。警察が「怪事」と右往左往する事件も、かれらにとっては不思議でもなんでもない。「この世には不思議なものなど何もない」とは、京極夏彦の生み出したキャラクター京極堂の決め台詞だが、山田風太郎がこの物語で扱っていることも同様だ。つまりは、近代と前近代との相克である。

その相克を、京極夏彦は「妖怪」という前近代の手立てを用いて祓い落す。一方、山田は前近代を引き摺ったものたちの手を借りる。妖怪と違って彼らは人間だから、そこには多くの悲喜劇が生まれる。妖怪は近代の幕開けとともに消えてしまうが、人間は世の中が変わっても生きていかねばならない。うまく立ち回れるものなど少数だから、たいていは破滅の道を歩むことになる。元士族たちは暗殺者へと、旗本や御家人の娘たちは遊女へと身を落とす。近代の理屈からすれば、彼らは犯罪者だ。それを取り締まるのが川路率いる近代警察となり、それに抗うのが元南町奉行たちとなる。しかしその川路でさえ、もともとは大西郷の推挙によって総監まで登りつめた人物である。序章では大西郷下野の場面が描かれるが、そこで川路は涙をもって西郷を見送る。

川路と元南町奉行たちとの対決が、この物語の読みどころではある。怪事件が彼らの手によって見事に収まるのを読むのは痛快だ。けれども、元南町奉行たちは、自分たちが消えゆくものであることを自覚している。つまりは最後の抵抗をしているわけである。一方で冷静沈着に描かれる川路もまた「影腹」を切って、近代警察の礎を作りあげようとしている。大西郷亡き後の治世を託されたから、それを中途半端な形に済ますわけにはいかないという気持ちがある。夜明け前の輝きの中で、世の中にも人の心のなかにも光と闇が立ち現われた一瞬があった。山田風太郎は、その一瞬を巧みにとらえて一級のエンターテインメントに仕上げたのだ。