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綿矢りさ『大地のゲーム』

震災という未曽有の災害を前にすれば、作家は自らの持てる力をフル稼働させるかしない。畢竟、できあがった作品はその作家の個性を色濃く反映したものとなる。人間と自然との関係性を長くテーマにしてきた池澤夏樹は、一隻の船を用意して海上を舞台とした『双頭の船』に挑んだ。ラッパーであるいとうせいこうは、彼岸の国のDJを主人公にして『想像ラジオ』を書いた。作品の出来はどうあれ(僕はあまり『想像ラジオ』を評価していない)、そこには表現者として真摯であろうとする作家の姿がある。

綿矢りさは、震災を「ゲーム」だとした。いかにも、自身の中に様々に流れ込んでくる情報や感情を「インストール」と表現した作家らしい。舞台は震災後の日本だが、これは近未来の話だ。東日本大震災は主人公の祖父母の時代に起きたことで、現在から見れば第二次大戦ほどの距離感といったところ。若者たちにとっては、教科書に登場する史実といった認識だが、そこに再び大地震が起きる。しかも一年以内に同じ規模の地震が再来するという。そんな状況下で彼らは大学に閉じ込められ、そこで避難生活とも流民生活ともつかない奇妙な共生を始める。未熟な若者たちだから、混乱もひどい。そこにやがて「リーダー」と呼ばれる学生が現れる。彼はみるみる学生たちの支持を集め、「反宇宙派」という組織を立ち上げるまでになる。

殺人も起きる。閉じ込められた学生たちの精神は限界にまで達し、マリという女子学生を追いかけまわしていた男子学生がリンチにあう。その事件には主人公の彼氏も関与していて、彼はその責をずっと気に病んでいる。一方の主人公はリーダーを冷徹に観察し、その言動に嘘くささを感じつつも、リーダーの魅力に抗うことができない。リーダーがマリに接近したと知ると、嫉妬にも駆られる。でも、主人公はそんな自分の感情に気づかない。自分で自分を理解できていない。地震に再び襲われたときに、その感情は一気に噴出して、そこでようやく彼女は自身を知る。

じつは、学生たちが行っていることは、一昔前の学生運動と変わらない。震災がきっかけではあるけれども、閉ざされたコミュニティで起きることは、じつは震災だろうと安保闘争だろうと、それほど大差ない。指導者が現れ、それに賛同するものたちが彼を敬い、組織間の対立はやがて内ゲバという殺戮行為へと発展して、挫折する。それは国家とて同じことで、歴史がそれを証明している。そして人間の所業など、大地のきまぐれであっという間にクラッシュする。癇癪を起こした子どもが、ゲーム盤をひっくり返してしまうように。そのたびに人間はまた同じことを繰り返しつつも、生きていく。そうするしかないからだ。

17歳でデビューした作家だから、ついつい「若々しい」だとか「瑞々しい」という言葉で評価してしまいそうになるけれども、僕は、綿矢りさは案外と“腹黒い”作家だと思う(そもそも彼女は1984年生まれだから、もう若手ではない)。おとなしそうな顔をして、腹の中では何を考えているのか分からない女性。外見はコンピュータのように無機質を装っているが、暴走すると何をしでかすか分からない。愛しい男の背中を“蹴りたい”と願う。綿矢の描くヒロインたちは、淡々と周りを観察し、毅然と情報を処理しているように見える。しかしそれが一旦、メモリーオーバーになると暴力へと一足飛びする。そのギャップが現代の若者特有のものだとすれば、もう僕らの世代には理解不能だ。だから彼女の描く世界はうすら寒く、恐ろしい。