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島田雅彦『島田雅彦芥川賞落選作全集』

島田雅彦が『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビューしたのは1983年のことで、僕が高校に入学した年となる。高校を卒業する頃には何作か文庫化されていて、僕はそれを読んだ。金子國義の耽美的な装画が印象的で、レーベルは今は亡き福武文庫である。現在はベネッセと改名してしまったが、当時の福武書店は「海燕」という文芸誌を出していた。『優しいサヨクのための嬉遊曲』は、そこにいきなり掲載され、島田は現役大学生作家として注目を浴びる。同誌では前年から「海燕新人文学賞」を主催していたけれども、その新人賞すらもすっ飛ばしての掲載である。「芥川賞6回落選」という記録を持つ島田は、じつは作家の登竜門である新人賞も取っていない。初めから本流に乗りそびれていた作家なのだ。村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で「群像」の新人賞を取ってデビューした後、すぐに芥川賞を受賞したのとはずいぶんと対照的である。その二人が今、芥川賞の選考委員を務めているというのも、ずいぶんと皮肉な話だ。

しかし30年ぶりに再読してみると、なるほど島田が芥川賞に嫌われた理由がわかる気がする。『優しいサヨクのための嬉遊曲』は、そのタイトル通り、思想を扱っているものの、その思想がすでに形骸化し、ファッションでしか成り立ちえないことを表現している。とどのつまりはナンパの道具である。主人公は真剣に社会運動に関わろうとするのだけども、コミットすればするほどに、意中の女性とは距離が生まれる。80年代に政治を語る女性など皆無に等しい。時代はバブルの予兆を迎えていて、妙に浮き足立っている。消費することが是とされ、中曽根はテレビの前で「アメリカ製品を買いましょう」と国民に訴えた。冷戦下ではあったけども、だれも戦争が起きるとは思っていない。ソ連と戦うのは、シルヴェスター・スタローンぐらいで、僕らはそれをスクリーンで眺めながら、ランボーに(あるいはロッキーに)喝采を送る。

冷戦下ではボタンひとつで世界が滅びると言われたが、実際にボタンに手をかけるものは現れなかった。今振り返ってみると、とても安定した戦時下という奇妙な時代だったと思う。戦争はバーチャルになり、僕も含めた若い世代は政治とは完全に無縁となった。村上龍は若者たちの頽廃的な風俗を描き、センセーショナルに受け止められたけれども、その背景には「戦争」あるいは「学生運動」という、当時の大人社会との共通認識のようなものがあった。それはわりと強固な紐帯として、日本の社会に長く留まっていた何かだと思う。けれども61年生まれの島田にはそれがない。僕には『優しいサヨクのための嬉遊曲』の主人公・千鳥の行き場のない切迫感のようなものがひりひりと伝わるけれども、当時の文学の世界では、それは「軽み」としてしか受け入れられなかった。そこに島田の不幸がある。紐帯はすでに断ち切られていたにもかかわらず、大人たち(あるいは文壇と呼ばれる世界の面々)は、それに無自覚だった。だから島田の言葉が理解不能となったのだろう。たしかに「若書き」という感は否めない。けれども僕は、村上春樹や村上龍よりも島田作品のほうに同時代性を感じるし、親しみを持つ。「冷戦時代の蜜月」を味わったものとして。あれはほんとうに、奇妙な時代だったのだ。