すべての好奇心をレビューする――「ホンスミ!」

シェリル・サンドバーグ『LEAN IN(リーン・イン)』

「子育てとは親の命を削って行うもの」というのが僕の持論である。もちろん、もとからそんな過激なことを考えていたわけではない。こんな考えが頭に浮かんだのは、たしか子どもが1歳ぐらいのとき。寝不足の頭でぼんやりとテレビを観ていたときのことだ。そこには鮭の産卵の様子が映し出された。産卵のために川を遡上していく鮭たちは、その使命を終えるとボロボロに朽ちて死んでいく。その姿は、育児疲れの僕の頭に強烈なインパクトを残した。「子孫を残す」ということが生命の最大の使命だとしたら、それはやはり自分の命をかけた大事業であるはずだ。だから当然、しんどくてつらい。そう思えた瞬間、とても気が楽になった。我が子のために命をかけるんだから、たとえ死んでしまっても悔いはない。会社に滅私奉公したあげくに過労死してしまうよりは、よほど幸福だ。

もちろん、僕のような考え方は一般的ではないだろう。そもそも僕は、子どもを作ろうと決心したときに会社を辞めた。子どもができるとなると、父親はより一層仕事に打ち込んで家計を支えなければならない。そう考えるのが普通だ。けれども僕はその逆を行った。強い根拠や、明確なビジョンがあったわけではない。でもそうすることが、おそらく僕たち夫婦にとってはベストの選択だろうと思えたのだ。そして実際に、それはベストの選択だった。いざ、子どもが生まれてみると、これは大人最低二人が二十四時間張りついていないと面倒をみきれないと痛感した。それから自然に、家事育児は共同で行うようになった。それから16年が過ぎ、現在、妻はフルタイムの正社員として働き、僕はフリーランスとして働いている。自宅にいる時間は僕のほうが長いから、ウィークデイの家事は僕が引き受けることが多い。けれども基本的には、家事の分担はしていない。「やれるときに、やれるほうがやる」というのが、我が家の家事の指針である。

でも両方が(とりわけ夫のほうが)「やれるときに、やれるほうがやる」という域にまで達するのは、現実問題としてかなり難しいだろうと思う。体験的にそう思う。例えば、料理ひとつとってもそう。子どもが生まれるまで、僕は自分ではそこそこ家事を引き受けているつもりでいた。けれども、子どもが生まれて、いざ、料理を作ろうとして、はたと困った。さて、調味料はどこにあるのだろう? キッチンペーパーは? あの平皿はどこだっけ? そもそも冷蔵庫の中は何がある?――キッチンのことがなにひとつわからない。ひと口に「料理を作る」といっても、その作業には何段階ものステップがある。最低限、冷蔵庫の中身は把握しておかなくてはいけない。冷蔵庫の中身を把握するためには、自分で買い物に行く必要がある。買い物に行く前に、どこのスーパーが目的の品をいくらで売っているかといった下調べも必要だ。そして(これがとても重要なのだけれども)それを毎日繰り返す必要がある。冷蔵庫の中身は絶えず更新されるものだから、それを毎日把握したければ習慣化しないと意味がない。週末だけ男の料理をふるまっても、それは家事を分担したことにはならない(と、僕は考えている)。

繰り返すけれども、僕のような生活スタイルを他人に押しつけるつもりはない(とかく、育児に関して持論を述べようとすると、こうしたエクスキューズを大量につけ加えなければならない)。100組の夫婦がいれば、100通りの育児論があり、育児法があるからだ。それぞれの出自や環境によって条件の組み合わせは様々だから、画一的な解法を与えることは難しい。『LEAN IN』は、FacebookのCOOを務めるシェリル・サンドバーグによる家事育児論だけれども、彼女もその点はわきまえていて、この本の中では、とても慎重に、かつ丁寧に言葉を選びながら論を進めている。それでいて多くの共感を得るような書き方がされてあって、これはそうそうできるものではないと感じ入った。説得力のあるデータを駆使しつつ、ときに自身の失敗談や経験談なども織り交ぜていく筆運びは見事だと思う。

とりわけ僕の心に残ったのは「そっと背中を押す」という意味合いの「ナッジ」という言葉。〈大事な瞬間のわずかな介入によって人々の行動を好ましい方向に促すテクニック〉とある。たしかに子育てのアドバイスは「そっと背中を押す」という力加減がちょうどいい。子育て論は往々にして感情的な議論を呼びやすいものだが、この本であれば、読み手も冷静に自身の子育てを見つめ直すことができるのではないか。「LEAN IN」とは「一歩踏み出そう」という意味らしい。肩ひじ張ったフェミニズムは苦手だけれども、そっと背中を押されての一歩というのは、とても自然で魅力的に感じる。それが「夫婦そろって」の一歩ということであれば、なおいっそう素晴らしい。