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マリアトゥ・カマラ/スーザン・マクリーランド『両手を奪われても』

アフリカ大陸の西海岸にシエラレオネという小国がある。農村部での平均賃金は一日一ドル、平均寿命はわずかに四十歳という最貧国のひとつだ。これほどまでに国が荒れたのは、1991年から2002年という長きに渡って激しい内乱が続いたからだ。とりわけ犠牲となったのは女性と子どもで、この本の著者であるマリアトゥ・カマラは12歳のときに両手をもぎ取られた。彼女の村を襲った反乱軍と称するものたちが、彼女の両腕を山刀で切り落としたのだ。それは反乱軍からのメッセージで、敵である大統領に「投票するな」という意味だ。だから反乱軍は見せしめのために多くの子どもたちの腕を切り落とした。彼女だけではなく、〈何千人もの女性や子どもたち〉がレイプされ、四肢切断され、殺害されたという。

彼女の体験したことは、あまりに筆舌に尽くし難い。戦争の現実、殺戮の現場を生々しく突きつけてくるからだ。平和ボケした僕などは、あまりの惨劇に何度も現実味を失いかけた。しかしその光景を、12歳の少女は否応もなく直視させられたのである。彼女は、親族や知人が小屋に閉じ込められて焼き殺される姿を見ているし、そこから逃げようともがいた女性の首を、兵士が切り落とす瞬間も見ている。あるいは、目の前で知人夫婦(妻のほうは妊娠していた)が射殺される瞬間も、石で頭をたたき割られて脳漿を飛び散らせた男性の死体も。そして、鈍く光る山刀が自分の腕を切り落とす瞬間も。

さらに気分を暗くさせるのは、マリアトゥの腕を切り落としたのが、彼女と同様、年端のいかない「子ども兵士」であったことだ。マリアトゥに「大統領に、新しい両手をくださいって頼んでこい」と嘯く彼らだが、自分たちもまた反乱軍の大人たちにいいように操られていることに気づかない。戦争は大人の身勝手で始まるものだけれども、大人は自分の手を汚そうとはしない。一方、汚れ役を担わせるのに子どもは適役だ。かんたんに洗脳できる。だから反乱軍の大人たちは、四肢切断という蛮行を子ども兵士に押しつける。子どもの悲劇の背後には、どこまでも愚かしい大人のふるまいがある。

マリアトゥを襲った悲劇は、これだけに留まらない。彼女は反乱軍に襲われる前に、近隣の村に住む男からレイプされていた。しかも難民キャンプで物乞いをしながらその男の子どもを出産するが、数カ月で死別する。わずか12歳の女の子が経験するには、あまりにも重くて辛い出来事ばかりだ。それでもこの本は、陰鬱な影ばかりに覆われているわけではない。希望の光はそここに差していて、それは「両手を奪われても、声を上げよう」と決意したマリアトゥの勇気から発せられているのだと思う。この本は、けして悲しい少女の物語ではない。悲劇を体験した少女が、尊厳と勇気を取り戻すまでの成長物語だ。そして同時に、大人たちへ向けての厳しい問いかけでもある。「あなたたちは成長しているのか?」と。